2008年3月31日
3月31日の朝
早朝、昨年から入院生活を送っている叔父さんのお見舞いに行ってきました。亡父の弟で、今年87歳。当直の看護士さんに時間外の面会をとがめられながらそっと病室のドアを開けると、叔父は思いのほかに元気そうな目覚めの笑顔で迎えてくれました。そして「今日は3月31日か」とつぶやくと、問わず語りに大戦に応召した時のことを語りはじめたのです。
ご近所・親戚の見送りをうけて福留から敦賀を経て舞鶴港に向かった、あの日の朝。それが昭和20年の3月31日だったと言うのです。何ごとにも几帳面で、私がとうに忘れたことでもすらすらと記憶をひも解く叔父でしたが、目覚めた瞬間に63年前の朝を思い出すとは、弱冠24歳にして明日の命をも知れぬ戦地へ向かう叔父の心境はどのようなものだったのでしょう。
否応なしに戦争という大きな歴史の波に飲み込まれた多くの人々の心情を思うとともに、父亡き今、せっかく生きて還った命を一日でも長らえて欲しいと願った3月31日の朝でした。
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先日、貴社でめずらしい
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