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2008年3月21日

倉敷の太鼓、赤穂の太鼓


 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもの。今年の春のお彼岸はまさしくその言葉を証明するように寒さがゆるみ、彼岸の中日である春分の日は、全国的におだやかな日和に恵まれました。春の入り口とも言えるその日、こちらも「青春」という春のまっただ中にいる若き太鼓打ち、山部泰嗣君の「山部泰嗣コンサート」が倉敷市で行われました。ゲストは津軽三味線の木乃下真市氏。二人の一騎打ちとも言える真剣なせめぎ合いの舞台は、見る者に息もつかせぬ迫力があり、木乃下氏の胸を借りてまた一回り大きくなった山部君の確かな成長ぶりを感じさせました。6歳の時からバチを握って13年、今や倉敷天領太鼓の一枚看板としてソロコンサートの開催にまでこぎ着けた山部君のこれからがとても楽しみです。

 今回の旅では、なまこ壁や柳の影を映す堀割りが旅情を誘う倉敷の街を散策しながら会場に向かい、帰路には共演させていただいた緑光の楽器を積んだ3tトラックを運転しながら山陽道の風景を眺めてきました。その道中、赤穂ICの付近でみつけたのが「討ち入りの太鼓の音」という標識。「?」と思った時にはすでに通り過ぎて標識の意味するところがわからぬままに道を進めましたが、あのあたりで太鼓の音が聞こえるのでしょうか。今度、山陽方面に迎え時には、必ず確認したいと思っています。

 ともあれ、赤穂で「討ち入りの太鼓」と言えば、赤穂浪士吉良邸討ち入りの際に鳴らしたという山鹿流の陣太鼓。山鹿流は、江戸時代の兵学者・山鹿素行の編み出した兵学で、討ち入りの太鼓は俗に「一打ち、二打ち、三流れ」、また「十二陰陽、五鼓、切り返し」を極意とするとも言われます。その太鼓を「かかれ!」の合図に四十七士が吉良邸になだれ込み、とは後に創作された物語で、実際には陣太鼓は打たれなかったようですが、四十七士が本懐を遂げるために勇み立つ心を鼓舞するには、太鼓の音はいかにも似つかわしい大道具ですね。

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