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2008年6月13日

箱根への旅


 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす」。『平家物語』の冒頭がふと頭に浮かんだのは、9日、小田原市の二宮神社から小田原城に向かって歩く道すがら、苔むした城の石垣を見上げた時のこと。先ほど訪れた二宮神社の境内に娑羅双樹が小さな花をつけていたこともあったのですが、今、目の前にそびえる小田原城(写真 1)も、まさに「盛者必衰」の舞台。元々は小早川氏の居城だったものを大森氏に奪われ、さらに北条氏政・氏直父子から阿部氏、稲葉氏、大久保氏と、一時は権勢をほしいままにした武将たちが次々と城主になったものの、やがては政争に敗れてこの城を去っていきました。そして小田原城自体も1500年代には日本で最大規模の城郭に発展しながら、震災や廃藩置県で倒壊・解体を余儀なくされ、今では北条氏によって築かれた石垣と、昭和35年に復興された天守閣がかろうじて往事の面影をたたえています。平家物語は、さらに「おごれる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし」と続きます。知らず知らずのうちに胸にはびこる「慢心」という悪魔に気をつけよと、石垣の苔(写真 2)に教えられたような思いでした。

 小田原から次に向かったのは、箱根町足柄山の東裾野に位置する大雄山最乗寺(写真 3)。ここは「箱根八里」と歌にもうたわれた箱根街道の道中にあり、福井の永平寺、能登の総持寺祖院に次ぐ曹洞宗の古刹。参道には樹齢600年以上という杉の古木(写真 4)が並木をなし、その見事さには圧倒されるばかり。足柄山の金太郎が熊にまたがって飛び出してきそうな木立の中には30あまりの堂塔が建ち並び、新緑の美しさと境内の厳かさに心が洗われるようでした。1394年の創建からおよそ600年。今なお泰然とたたずむ拝殿で手を合わせ、長い歳月のなせるわざに新たな元気をもらって足柄山を後にしたのでした。

小田原城
(写真 1)小田原城

石垣の苔
(写真 2)石垣の苔

大雄山最乗寺
(写真 3)大雄山最乗寺

樹齢600年以上の杉の古木
(写真 4)樹齢600年以上の杉の古木

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