2008年10月 6日
忘れ得ぬ太鼓二題、国立劇場「日本の太鼓」と近江八幡の大太鼓
このところ北陸は気持ちの良い秋晴れが続いています。天高く澄み渡った空というのは、その下にいる人間に限りない勇気と力をもたらすようで、増してこれからの季節、急激に日照率が低下していく北陸の人々にとって、雲一つない秋の晴天は、何よりも貴重なエネルギーの源といえるでしょう。
さて先週の9月27・28日、国立劇場で昭和52年から開催されてきた「日本の太鼓」の一つの区切りとなる「人智千響」が開催されました。思えばこれまで、なんと多くの太鼓がこの舞台で渾身の雄叫びを上げたことか。第一回の出演は、御諏訪太鼓、御陣乗太鼓、助六太鼓、みやらび太鼓、表佐の太鼓踊り、佐原囃子、弥彦神社舞楽、兵庫つかいだんじりの8団体。以来、時代とともに進化・多様化してきた日本の太鼓の様相を、この舞台は実直に伝え続けてきました。
そうした中で、忘れがたいシーンは数多くあります。「北海太鼓」大場一刀の気迫のこもった打ち込みと流れるようなツバメ返し、「御諏訪太鼓」小口大八のさっそうとした勇姿、「尾張新次郎太鼓」西川新次郎の目にも鮮やかな曲バチ、田耕率いる「鬼太鼓座」の緊張感に満ちた音塊、福井「不老太鼓」玉村武の味のある三つ打ち。いずれも現在の日本の太鼓に大きな影響を残しつつ、今となっては五氏ともが鬼籍に入られたのがなんとも惜しまれます。
その「日本の太鼓」がスタートしたのと同じころ、浅野太鼓に1張の大太鼓が運ばれてきました。近江八幡から革の張り替えのためにやってきた太鼓です。日牟禮八幡宮の例大祭として千年以上の歴史をもつという八幡まつり(一日目は「松明まつり」、二日目は「太鼓まつり」とよばれる)に奉納される大太鼓で、口径5尺。けやきの胴の堂々たる勇姿も見事でしたが、何よりも驚かされたのは、胴の中央に鎮座する座金の並外れて大型なこと。直径が30cmもあろうかと思うほどの丸い座金がお供え餅のように三重に重ねられ、中心にはこれも男の腕の太さほどもある鉄製のカンがデンと居座っています。その存在感たるや、まさに「太鼓の王者」たる風格を放っていました。この座金とカンがいつごろ、誰の手によって製作されたのかはわかりませんが、胴の枯れ具合から察するとかなり早い時期のようです。とすれば、まだ流通の発達していない時代、どのようにしてこれだけの鉄を調達したのか。また、おそらく地元の野鍛冶であろう製作者は、どのようにしてこれほどの高度な技術を身につけたのか。もともと歴史が好きな私は、この太鼓の張り替えが終わるまで、座金とカンの生い立ちを巡って空想の歴史街道を旅したのでした。そして、太鼓の付加価値を高めるうえで座金とカンがいかに重要なものであるかにあらためて思い至り、現在の浅野太鼓の座金とカンを考案したのでした。
今、工場では近江八幡と同じく琵琶湖畔から運ばれてきた大太鼓の張り替え作業が進行しています。これもまた見栄えのする立派な大太鼓。その太鼓を見るたび30年前の驚きを思いだし、背筋が伸びる今日このごろです。
5尺の大欅太鼓
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