2009年3月30日
前向きな熱意に元気をもらう
3月最後の土・日曜日、ETC装備車の高速道路利用料金が1,000円になったせいか、太鼓の里資料館でも兵庫や和歌山など遠方からのお客様がいつもより多かったように思います。まさに沈滞ムードど真ん中の日本ですが、これからは陽気もよくなる季節、大いに高速道路を利用して前向きに活動したいものです。
前向きといえば、このほど大阪府柏原市に太鼓道場を開館させた太鼓チーム「鼓宮舞」代表の外山さんの前向きさには、心から感動させられました。21日、お招きをいただいた開館式典で外山智亮さんは「周囲の皆さんと子供たちのおかげでここまで漕ぎ着けた」と謙虚な挨拶をされていましたが、その道場のなんと立派なこと。約50坪の吹き抜けの天井に音響・照明の設備も完璧で、これまで手狭な空間で不自由な練習を余儀なくされていた子供たちのためにのびのびとした道場をと奔走した外山さんの熱意がそのまま形になったような堂々とした構えでした。
外山さんの信念は「今やらなければいつやる。私がやらなければ誰がやる」。道場建設に至るまでには並々ならぬご苦労もあったことと思いますが、困難をものともせずつねに情熱の塊のごとくに前向きに頑張ってこられた外山さんに、新たな元気をいただいた一日でした。
2009年3月18日
奈良の太鼓、福島の太鼓
ここ二日ほど、北陸は恒例の「黄砂」に見舞われています。陽気に誘われてうっかり窓を開けっ放しにしたり、車を洗って濡れたままにしておこうものなら、とんでもないことになる困りものですが、春先の風物詩と思えばこれも嬉しい自然現象の一つでしょう。
さて、先週の火曜日10日、奈良の唐招提寺で天平時代に製作された火焰太鼓と対面してきました。火焰太鼓は、通常、左方太鼓と右方太鼓で一対をなし、左方の火焰には龍が、右方の火焰には鳳凰が描かれているものですが、唐招提寺ではすでに一方を焼失し、片方だけが今に受け継がれています。ところがこの太鼓、火焰の表面には龍が、裏面には鳳凰が描かれ、片方だけで充分に用をなしているのです。当時の工人が何を思ってこのような意匠に仕上げたのかはわかりませんが、一枚板に透かし彫りの技法を凝らして表裏異なる図像を描いた彫刻技の見事さを間近に見て、あらためて天平文化の神髄にふれた心地でした。
唐招提寺正面 (兄と北川さん)
次いで春日大社を訪れ、鎌倉時代に製作された火焰太鼓を拝観。この太鼓は今から30年近く前、浅野太鼓が初めて火焰太鼓の製作を依頼された時に見本として一度拝見しているのですが、今回、新たな発見があったことに私自身が驚かされました。というのは、左方太鼓の龍の足が、表には2本、裏には4本描かれていたことに初めて気づいたからでした。30年前にも自分としては目を皿のようにして細部まで観察したつもりだったのですが、血気に逸(はや)るあまりに見落としたのか。よく「若い時には見えなかったものが歳を重ねることで見えるようになる」と言いますが、ようやく今になって私も多少は冷静にものを見られるようになってきたということでしょうか。
その5日後の15日は、福島県の「飯坂温泉太鼓まつり」にお邪魔しました。今年で8回目となるこのイベントは、「奥州三名湯」に数えられる飯坂温泉の恒例行事となり、午前10時から午後4時までという長時間にもかかわらず、毎年地元の皆さんや観光客の皆さんがたくさん詰めかけてくださいます。今年はイベントの中心団体である「愛宕陣太鼓連風組」の結成15周年ということもあり、代表の斎藤通夫さんの「命をかけた」といわんばかりの熱演に、会場の熱気は例年以上。ゲストとして出演された島根の今福優さんも素晴らしい打ち込みを見せ、まさに「太鼓日和」の良い一日でした。どうか来年も10年先も、湯の町の太鼓を楽しみにしている皆さんのために頑張ってください。
飯坂温泉太鼓祭り 愛宕陣太鼓連響組
2009年3月10日
明日に向かって打て!
去る8日、東京都下ながら山梨県に近い奥多摩町へ、奥多摩清流太鼓創立20周年記念式典にお邪魔しました。今から20年前、奥多摩に誇れる文化を築こうと、当時の原島信三会長を中心に地域の有志の皆さんが一丸となって立ち上げた清流太鼓。以来、メンバーの皆さんの熱意によって、今や立派な奥多摩の顔となったことは、河村町長さんのご祝辞にもよく表されていました。
(現会長 原島和喜様)
現在、三代目となる原島和喜会長も初代原島会長と同様に誠実な人で、ここまで育て上げた清流太鼓をより良い形で次の世代に手渡そうと頑張っておられます。凜と引き締まった空気の中、20周年の節目を祝う以上に未来への新たな決意がみなぎった、なんとも気持ちの良い式典でした。
(初代会長 原島信三様)
同じく8日夜、都内港区の八芳園で、ソロ奏者佐藤健作さんの文化庁芸術祭新人賞受賞パーティーが催されました。昨年11月に埼玉で行った和太鼓公演「不二」により芸術祭大衆芸能部門の新人賞を受賞したもので、和太鼓関連で文化庁主催の賞を受賞するのは、昭和56年の川田公子さん、平成9年の林英哲さんに続いて3人目。太鼓に携わる一人として、大変嬉しいできごとです。
パーティーには各界からおよそ150人がお祝いにかけつけ、文部科学省山内俊夫副大臣の祝辞や、能楽師の津村禮次郎さんらによる祝賀の演奏が披露されました。佐藤さんには今回の受賞を励みに、和太鼓文化発展のためにますます活躍されるよう楽しみにしています。
(山内さん、健作さんと)
2009年3月 5日
2月から3月へ
2月は28日で月末を迎えたこともあり、またたくまに1ヶ月が過ぎたような気がします。そんな中、香川県の今は三豊市となった旧仁尾町にお邪魔し、心なごむ風景に立ち合わせていただきました。ここは瀬戸内の温暖な気候を利用してミカンやビワなどの栽培が盛んに行われていますが、かつては港町として栄えたところ。その港を埋め立てた奥に古い神社があり、今回の訪問はその神社にある太鼓の革の張り替えについて相談を受けたからでした。
以前は目の前にすぐ海があったという神社の参道両脇には、いかにも時代がかった木の灯籠。そこに明かりがともるころ、氏子の長老や青年団の若者15~16人が集まり、くだんの太鼓を囲んで話し合いが始まりました。成り行きを聞いていると、どうやら青年団はこの際新しい太鼓をあつらえたい様子。それに対して長老の皆さんは、若いころから祭りを共にしてきた太鼓にまだまだ愛着がある様子。お互いに正反対の意見を出しながら、そこに流れる空気は決してトゲトゲと反発するものでなく、まるで全員が家族のように相手の言い分をしっかりと、あたたかく受け止めているのでした。
しかし、なかなか決着がつかず、思いきって古い革をはずし、中をのぞいてみることにしました。そこには「昭和5年謹製」の文字。今からおよそ80年前につくられた太鼓です。期せずして青年団からも長老からも「ほう」という声があがり、結局は80年にわたって祭りを支えてきた太鼓を張り替えてもう一働きしてもらうとともに、若者たちに祭りの将来を託すべく新しい太鼓もつくろうという結論に落ち着きました。一度は二つに意見が分かれたものの、最後には八方が丸くおさまり気持ちのよい決着に至るまでのやりとりはなんともほほえましく、東京での所用を経由して香川に赴いた旅の疲れを忘れさせてくれました。誠心誠意をこめて作業に取り組みますので、どうかしばらくお待ちください。
会社に戻り、ようやく春めいてきた陽射しに心浮き立つ思いでいた3月、雛祭りの3日にはいきなり真冬に逆戻りしたような寒さがやってきましたが、これも春に近づくための三寒四温。皆さん、風邪などひかないようにご注意を。