2010年4月30日
岡山で裸足の厚みに見とれる
山口県の萩に生まれ、29歳で大阪に出て実業界に名を成し、後半生は岡山県の児島湾干拓事業に尽力した明治の実業家・藤田傳三郎の遺徳をしのんで結成されたのが、岡山の「ふじた傳三郎太鼓」。
昨日はその結成15周年記念公演が行われ、笛の「高野巧」さん、倉敷の「倉敷天領太鼓」と宮崎の「響座」がゲスト出演されて、力のある舞台を見せてくれました。ことに今回はそれぞれの団体の個性が際立ったのが印象的でした。まず、主役であるふじた傳三郎太鼓は、これから自分たちの伝統をつくりあげようという気概が感じられて頼もしく、巧さんは重厚な音色を響かせ年季の入った芸を見せてくれました。
倉敷天領太鼓は伝統の打奏に山部泰嗣らの若いパワーが活力を加え、響座はかつぎ桶から伏せ打ち、大太鼓まで絶妙の技を見せた岩切さんの見事さに圧倒されました。その岩切さんの裸足の厚みといったら、驚くばかり。とてつもない練習量を物語る二本の足に見とれながら、熟練の演奏ぶりを堪能したのでした。
皆さん、本当にお疲れ様でした。
2010年4月22日
それぞれに新しい春の訪れ
竹の箍(たが)づくり 4月も20日を過ぎ、この春に社会に羽ばたかれた新人さんも、そろそろ新しい環境になじんできたころかと思います。我が社では今年は新規の採用はありませんでしたが、昨年入社した森田君が著しい成長ぶりを見せ、桶胴づくりの現場で二年目の修業に励んでいます。彼の目下の命題は、桶胴にはめる竹の箍(たが)づくり。孟宗竹を細く割いて綾に編んでいくのですが、均等にそろった編み目にするにはそれなりの熟練が必要な工程です。道は遠いが、森田君、ガンバレ。
御所車のづくり 一方、長胴太鼓や大太鼓の胴の中彫りなどに彫刻の腕前を発揮している南君は、御所車の制作に初挑戦。木材を扱うことには慣れている南君ですが、わずかな誤差も許されない車輪の組み立てには思いのほかに四苦八苦している様子。こちらも真剣勝負でガンバレ。
さて、昨年12月28日付けのブログで、我が社の若い社員同士が社内結婚したことをお知らせしましたが、昨日、その二人に赤ちゃんが生まれました。おめでとう! 分娩室に入ってわずか1時間で出産という超安産、母子ともに元気いっぱいで、かわいらしい女の子の名前は琴音(ことね)ちゃんとか。このニュースはたちまち社内を駆けめぐり、このところ受注状況があまり芳しくなく、ややもすると沈滞ムードだった空気をパッと明るく変えてくれました。また、仕事柄か浅野太鼓では子供の名前にしばしば「音」という文字が使われる傾向があり、また一人、音にちなんだ名前がふえたのも私には嬉しいことでした。どうか健康に素直に、太鼓の音のようにまっすぐに育つよう祈るばかりです。
2010年4月13日
花咲き、花散るころ
兼六園の桜が満開を迎えた8日、うららかな陽気とはうらはらに悲しい知らせが飛び込んできました。山形県酒田市の太鼓道場「風の会」の前代表・進藤喜一郎さんの訃報でした。「山形にこの人あり」と言われ、長く太鼓界に貢献された進藤さんに最後にお目にかかったのは、今年2月の大江戸助六太鼓新年会。盛り上がる宴の中締めに、よく通る声で訥々と結んだ挨拶と手締めの見事なこと。訃報を受けた瞬間、その時の進藤さんの東北人らしい実直さと律儀さが鮮やかに記憶によみがえりました。進藤さん、どうか安らかにお眠りください。心からご冥福をお祈りいたします。
その週末、10日、11日は、毎年恒例の「成田太鼓祭」。千葉県成田市の成田山新勝寺境内と参道を会場に、全国から集まった太鼓団体が二日間にわたってライブ演奏するイベントは、今ではすっかり成田の春の風物詩になっているようです。今年もたくさんの太鼓打ちが参加する喜びを全身で表現していましたが、スタートから10年目、どことなくマンネリ化の傾向もあり、継続していくことの難しさを感じました。私もこれからの課題として、真剣に考えていきたいと思います。
(成田山太鼓祭りにて)
その足で、愛媛県宇和島市へ。「伊吹龍心太鼓」35周年記念と、その中核にいて昨年他界された藤原泰英さんをしのぶ会を兼ねた公演は、藤原さんの弟子8チームが出演。追悼公演らしく藤原さんを思い、涙、涙の一幕もありましたが、心あたたまる雰囲気が居心地よく、打ち手と観客のこうした一体感こそ故人の望んでいたことではなかったかと胸が熱くなるのでした。藤原さん、志はしっかり受け継がれているようですよ。よかったですね。
(伊吹龍心太鼓コンサート)