2010年10月 4日
10月2日、二つの祝賀の宴
ようやく秋らしい爽やかな風が立ち始めた2日、能登半島・輪島の「御陣乗太鼓保存会」が、結成50周年を迎えました。
天正年間、上杉謙信の軍勢が輪島に攻め入った際、奇怪な鬼面をつけた名舟地区の村人が激しく太鼓をたたいて追い払ったという伝説に基づいて保存会を結成したのが1960年。日本の太鼓団体として初めてイスラエルからギリシャ、イギリス、イタリア、アメリカなど海外7カ国の公演を行ったのが1963年。この年、太鼓団体としては初めて県の無形文化財指定。松竹歌劇団「春のおどり〜御陣乗太鼓」上演。翌1964年に勅使河原宏監督の映画「砂の女」に出演。そして同年の東京オリンピック関連行事「芸能展示」と1970年の大阪万博への出演。このように結成直後からめざましい活躍ぶりで、太鼓も消耗が速く、代表の池田庄作さんが背中に太鼓を背負い、能登から電車を乗り継いでたびたび革の張り替えに来られたことを思い出します。
現在、御陣乗太鼓は北岡周二さんを代表とする第二世代に受け継がれていますが、能登屈指の芸能として相変わらずの活躍を続けています。この50年、輝かしい歴史をつくってきたものは、気迫に満ちた7種類の面の威力もさることながら、保存会の皆さんのたゆまぬ芸の積み重ねがあったからでしょう。地域に伝承されてきた芸をただ守るだけでなく、絶えず進化させてきた結果が50周年の祝典に結びついたのだと私は思っています。保存会の皆さん、本当におめでとうございます。後継者の問題など課題はあるでしょうが、いつまでも能登半島の先端に力強い太鼓が鳴り響くことを願っています。
同じ日、東京では、これも地域に伝承された太鼓の打ち手が、新たな人生の門出を迎えました。三宅島に伝わる三宅太鼓を「三宅島芸能同志会」として父子4人で普及・啓蒙している津村明男さんのご長男、和宏君の結婚式です。披露宴には太鼓関係者も多く招かれ、なごやかな雰囲気のうちに進行。満面の笑みをたたえる花婿は、同時に次の世代を担う太鼓界の後継者の一人でもあり、幸せな家庭を築かれるとともに、ますます芸に磨きをかけて素晴らしい舞台を重ねていかれることを願わずにはいられませんでした。良き伴侶を得られ、どうか大きく羽ばたかれるよう楽しみにしています。
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