2011年10月17日
元気に一週間の始まり
大分県の久住町を拠点に活動されてる「TAO」の一行が、先週、来社されました。代表の藤高郁夫さんとは、かれこれ20年以上のおつきあい。久し振りに一献傾けながら、いつものように藤高さんのパワフルな話に聞き惚れました。藤高さんの尊敬すべきは、① 太鼓集団に法人組織を取り入れ、一つの企業としての経営基盤を確立していること。②雇用と業績に応じた報酬システムにより、メンバー(社員)の生活の安定を維持していること。③ メンバーの退団後の生活の道を提供し、生涯にわたる福利厚生を実現していること。という、太鼓集団としては稀有な3本柱の理念のもと、メンバーに夢と希望を与えつつ、絶えず明確な目的意識を持って前進し続けていることです。今回の藤高さんは2年前に会った時よりさらに経営姿勢がパワーアップし、見聞の広い話題の端々からは人間的にも実業家としてもさらに一回りも二回りも大きくなられたことを実感しました。このところの販売不振で少々弱気になっていた私も大いに触発され、なにやらパワーのお裾分けをもらったような心地。「本当の敵は自分の中にあり」です。強い信念をもって事に当たる大切さを嚙み締めたひと時でした。
<万代太鼓フェスティバル>
そして週末の16日は、新潟県の「万代太鼓」の37回目の万代太鼓フェスティバルが開催。会場の新潟市音楽文化会館は、午後1時の開演時には調満員の状態。それもそのはず、昭和44年に発足した万代太鼓は、今や職場や学校、幼稚園、地域などに裾野を広げ、会員の団体は26を数える隆盛ぶり。すっかり市民と一体化し、新潟の名物として「万代太鼓」という和菓子まで売られているほどです。その演奏は北陸特有の子バイの返しがしっかり生きており、組織は大きくなっても初代会長の小泉光司さんの「郷土に根ざした芸能を新潟に」という志がしっかり受け継がれていることを感じさせました。皆さん、本当にお疲れ様でした。
さて、こうしてTAOと万代太鼓、二つの元気な太鼓に鼓舞され、私の一週間が始まりました。
2011年10月 2日
太鼓の響きに祈る
<陸前高田の及川実行委員長>
昨日、名古屋市のナゴヤドームを会場に、「陸前高田太鼓フェスティバル」が開催されました。毎年10月に岩手県の陸前高田市でおこなわれていたイベントですが、今年は例年の会場である陸前高田市民体育館が3月の東日本大震災で全壊したため、実行委員長の及川修一さんや名古屋青年会議所、福島県太鼓連盟の斎藤通夫さんなどの尽力によって名古屋で実現したものです。「太鼓を通じて復興の気運を盛り上げよう」との願いがこめられた会場には、およそ4500人の観客が詰めかけ、また陸前高田の「氷上太鼓」と大船渡の「長安寺太鼓」に加え、快く出演を引き受けてくれたのは名古屋の「尾張新次郎太鼓」「松平わ太鼓」石川県の「御陣乗太鼓」愛知県の「志多ら」宮崎市の「橘太鼓響座」東京の「ヒダノ修一グループ」福島市の「愛宕陣太鼓連響風組」東京の「三宅島芸能同志会」大分の「豊の国ゆふいん源流太鼓」奈良県の「倭YAMATO」など全国の10団体。我が社も及川さんからの依頼で、全体の構成や太鼓のレンタルなどのお手伝いをさせていただきました。
<氷上太鼓の皆さん>
毎年「太鼓の甲子園」と呼ばれて熱い熱気がただようイベントですが、今年は誰の胸にもさまざまな思いがこみ上げてひとしお心に迫る中、斎藤さんが「陸前高田も大変だが、原発事故によって皆さんの想像以上の悲惨な現実にさらされている福島のことも忘れないで」とステージの上から涙ながらに訴えた姿がとても印象的でした。
<エンディングに披露された金澤翔子さんの書>
<出演者と実行委員長>
震災から半年が過ぎ、わずかながらも復興のきざしが表れ始めている反面、いっこうに先が見えない放射能の問題や、被災地の皆さんの今後の暮らしの不安など、課題はたくさんありますが、力いっぱいに打ち込む太鼓の響きが少しでも人々を元気づけるよう、心から祈るばかりです。