2012年4月18日
桜の花に思う
昨年よりも1週間ほど遅くなりましたが、我が社の桜がようやく見頃を迎えました。桜といえば、古来より日本を代表する花。今年のNHK大河ドラマ「平清盛」に登場する西行法師も桜を詠んだ多くの歌を残していますが、それからまもなく後、木曾義仲が平家追討のために手取川を渡り、津幡の倶利迦羅峠で今に伝わる「火牛の計」によって大勝利をあげたことなど、歴史絵巻に思いをはせるのも桜の効用でしょうか。
1日置いて、7日は、福井で伝統の「三つ打ち」を伝承してきた車屋正昭さん率いる『響太鼓』の結成30周年と車屋正昭太鼓道場開講10周年を記念したコンサートが福井市で開かれました。伝統の打法に誇りを持ち、ヨーロッパにも多くの子弟を持つ車屋さん。ソロあり、メンバーや海外からのゲストの皆さんとのアンサンブルありの舞台は、ほれぼれするほどのキレの良い打ち込みと、ウィットに飛んだ車屋さんのトークで、あっという間の2時間半。あらためて北陸にある太鼓の財産を認識したひと時でした。
雪と見てかげに桜の乱るれば花の笠着る春の夜の月 西行
2012年4月 9日
御陣乗太鼓の稀代の名手逝く。どうかやすらかにおやすみください。
「波打ち際で見栄を切る 池田庄作氏」
4月6日の早朝、輪島市名舟の池田庄作さんが他界されました。池田さんといえば、御陣乗太鼓の稀代の名手として、太鼓打ちならその名を知らない人はいないほどの打ち手です。大正10年(1921)生まれ。15歳で初めてばちをとり、78歳で現役を引退するまで60年以上にわたって御陣乗太鼓を打ち続け、平成16年には太鼓打ちとして初めて旭日雙光章を受章されました。打ち手として最も油がのっていた時代、夜叉面をかぶり、波打ち際で見得を切る写真は御陣乗太鼓の真骨頂で、浅野太鼓のパンフレットにも載せさせていただいたものです。
(昭和39年(1964)に公開された映画 『砂の女』の1シーン
たいころじい31巻より 写真右: 池田庄作氏)
太鼓の革の張り替えは、いつも池田さん自身が背中に担ぎ、輪島から能登鉄道と北陸線を乗り継ぎ、加賀笠間の駅から我が社まで歩いてこられました。その太鼓の口径は1尺5寸5分。ある時、なぜその大きさにこだわるのかたずねてみたところ、汽車にもバスにもこのサイズなら乗せられるので、全国どこに公演に呼ばれても大丈夫だとのこと。カーンと冴えた高音で、フチ打ちも激しい御陣乗太鼓は、やはり自前の太鼓でないと思い切った演奏ができないのでしょう。どんな舞台でも全力で打ち切る池田さんの信念にふれた思いがしました。
8日に通夜、今日9日に告別式。太鼓ひと筋に生き、日本太鼓連盟の設立など日本の太鼓界発展のために大きく貢献し、輪島市名舟という小さな漁師町の名を全国に知らしめた池田さん、どうかやすらかにお眠りください。心よりご冥福をお祈りいたします。