2012年10月 8日
輪島のニュースに衝撃を受ける
6日、地元紙の夕刊に、輪島の「稲忠漆芸堂」が倒産したことが大きく報じられました。04年に経営破綻したものの、民事再生手続きにより立て直しを目指していた途上のことであり、輪島市の基幹産業である輪島塗を牽引してきた漆器企業の倒産は、地元輪島市はもちろん、石川県の経済界にも大きな衝撃となりました。
稲垣民夫さんとは、若い時分、能登半島の祭りに曳く「キリコ」という山車を従え、焱太鼓とともに何度か海外公演に赴いた間柄。情熱的に輪島塗を広め、輪島市の活性化策の一つとして、冬の輪島で「日本太鼓フェスティバルin輪島」を提案したのも稲垣さん。太鼓イベントといえば、通常は1日か2日が当たり前ですが、稲垣さんは「ぜひとも1週間継続したい」と私を驚かせ、毎年、全国から太鼓チームを招き、1994年からおよそ10年間にわたって市ぐるみの「輪島冬祭り」を盛り上げたのでした。
また、もっと若い自分、稲垣さんとは県の伝統産業青年会でよく一緒になり、私などまだ普通トラックしか持っていないころ、さっそうと高級車で乗り付けてくる姿がまぶしく、いつかはあんなふうになってみたいと憧れた人でもありました。
しかし、日本人の生活様式の変化にともない、企業努力だけでは会社を維持するのが難しい時代になりました。住宅に柱がなく、和室がなく、仏壇がなく、食事も洋風化し、輪島塗のお膳やお椀が必需品だった冠婚葬祭も式場でおこなうようになり、輪島塗はどんどん日常生活から遠ざかりました。新聞によれば、90年代前半の売上高は20数億円。それが03年ごろには半分以下に落ち込んだとのこと。日本経済が停滞する中、輪島塗をあまりに高級品化してきたことも、売れ行きの不振につながったのかもしれません。
稲忠さんの一件は、決して他人事でなく、我が社としてもいろいろ考えさせられました。今の時代、何をどう見極めて転換期を察知するか。今後、どんな方法に活路を見出せばいいのか。悩みは尽きませんが、この難しい時代、とにかく足元だけはしっかり固めていたいものです。
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