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2015年3月25日

一心に芸の道を歩む人々の音色の深さに感銘

 去る3月14日、石川県民の50年来の悲願だった北陸新幹線が開通。金沢は関東圏などから多くの観光客が来られ、ここ数日、例年にない賑わいとなっているようです。

 その金沢で、「お座敷太鼓にこの人あり」と言われたのが、東の茶屋街の今は亡き美ち奴ねえさん。1988年(昭和63)国立劇場12回「日本の太鼓」公演に出演された時の凜とした存在感の大きさは、今もまぶたに焼き付いています。とはいえ、当時の金沢芸妓衆の踊りやお囃子は、今から見ればまだまだ発展途上。その後、1992年の「ワシントンDC桜祭り」や93年の「スミソニアン美術館オープニングセレモニー」などに、発足したばかりの「炎太鼓」とともに招聘されて芸を磨くにつれ、県内外から押しも押されもせぬ高い評価を集めた「一調一管」の芸が確立されたのでした。

 笛の名手・苅谷みねさんと鼓の堅田乃莉により、一本の笛と一丁の鼓が激しく拮抗しながら独特の世界観を結び、まさに「金沢に一調一管あり」と讃えられた至高の芸。そのみねさんが、新幹線開業と同じ14日に、87歳で亡くなりました。芸の精進とともに、西の茶屋街「美音」の女将でもあり、さらに「峯子」の名で現役の芸妓も務めながら、50年以上も金沢のお座敷芸を高めてきたみねさん。相方の乃莉さんとともに石川県無形文化財保持者に認定されたその笛の音には、芸に打ち込む強い信念と誇りがつねに感じられました。今あらためて心からの拍手を贈るとともに、つつしんでご冥福をお祈りいたします。

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 その翌週、横浜で「鼓童」の舞台。「道」と名づけられた公演では「千里馬」や「モノクローム」「三宅」「大太鼓」など、過去の名曲が次々に登場。一心に打ち込む姿、楽器に向かう姿勢など、芸を追い求めるプロのすごさを感じさせられ、芯の通った骨太の音にほれぼれと聴き入ったひと時でした。
 そのステージに鎮座していたのは、私が83年に手がけた3尺8寸の大太鼓。
「太鼓」という物体に、打ち手の技をもって命を吹き込んでくれた鼓童に「感謝」!です。

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2015年3月15日

隅田さん、どうぞやすらかに

 3月6日、北海道「ねむろ太鼓」会長の隅田諫さんが亡くなられました。ねむろ太鼓の創立は今から46年前、私がまだ20代のころでした。初めて隅田さんの演奏を見たのは、30年ほど前の札幌での公演。大柄な体格の豪快なバチさばきは今も忘れがたく、体格にふさわしい太っ腹で、私にもよく声をかけてくださったものでした。

 太鼓を通じた地域貢献や、北方領土返還のための運動、ロータリークラブでの活躍など、遺影に手を合わせると、いろいろなことが思い出されました。本当にお疲れ様でした。享年77歳。心よりご冥福をお祈りいたします。

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2015年3月 4日

はばたけ、東海の若者たち!

 大安吉日の1日、愛知県知立市を拠点に活動する「和太鼓ユニット光」が、刈谷市にスタジオ「とことん」をオープンされました。和太鼓ユニット光は、羽田康次さんとはだひかるさんご夫妻で構成する太鼓ユニット。康次さんは今年39歳とのことで、私も自分の30代を振り返ると、こわいものなしで一目散に走った時期。人生には、誰にも「良い潮目」というものがあるはずで、羽田さんご夫妻には今がその時なのかもしれません。上手に潮の流れに乗って頑張って欲しいものです。 


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 スタジオお披露目の席で、夫妻で演奏した笛の音色が美しく、心に深く染み入りました。「新鮮なものは感動をよぶ」の言葉通り、感動のひと時でした。
 和太鼓ユニット光のほかにも、東海地方には発展途上の若い打ち手がたくさんいます。そうしたソリストたちが集まり、ユニットを組んで演奏する機会をつくったりもしているようです。皆さんで切磋琢磨しながら、大きな打ち手に育ってくれるよう、将来を楽しみにしていますよ!

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2015年3月 3日

あっという間に通り過ぎた2月

 本当に「時」というのは待ったなしに過ぎゆくもので、ふと気がつけば前回のブログから、なんと1カ月も経過していたというていたらく。まったく面目ないことです。
 というわけで、今日は急ぎ足で2月中の覚書を。
 まず1日。大分のお客さまに届ける太鼓を積んだ4トントラックで大阪南港へ。フェリー「さんふらわあ」にて別府港に向かい、納品を終え途中湯布院へより、フェリーで四国は愛媛県の八幡浜港へ。10数年振りに訪れた八幡浜の市街地は懐かしく、40年ほど前に初めてこの地に来た20代のころを思い出しました。
 当時、骨董屋を営んでいた人から締太鼓セットの注文をいただいたのですが、納品に来るとシャツの上に腹巻姿。何気なく腹のあたりを見ると、なんと腹巻きの中に分厚い万札の束。しかも乗っていたライトエースのライトバンは外見はボロボロなのに、車内には横山大観の絵画や、高価な高蒔絵をほどこした文箱などが無造作に押し込まれ、まだ若僧だった私は「へーっ」と度肝を抜かれたものでした。
 そんな思い出にひたりながら、松山、高松、善通寺、倉敷と、道すがらのお得意さまにご挨拶しながら北陸目ざして帰路のドライブ。ゆっくりとあれこれ考えながら、気ままにハンドルを握った3泊4日の一人旅でした。
 8日は「大江戸助六太鼓」、11日は「大元組」と、相次いで東京で太鼓チームの新年会。14日は名古屋で和太鼓special live小林辰哉×羽田康二×若山和之各氏、辰年生まれの三方によるライブを堪能し、

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15日には神戸で木村優一さんの演奏生活20周年記念コンサートで打ち込みの力強さに感激。20日は熊本県宇土市で「宇土太鼓祭」。ここには全国でも珍しく、胴に木星が埋め込まれたケヤキの大太鼓があり、その多くは江戸時代の作。今も26基が現存し、「宇土市大太鼓収蔵館」に保存展示されています。その太鼓を使ったライブでは、製作から400年(1673年寛文年間)の月日が経過したケヤキの深みのある音を堪能。
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            文化3年建立八幡宮の鳥居

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 しかし、「宇土大太鼓これからの100年プロジェクト」と題したイベントでありながら、コンサートでは、ゲストの若い打ち手の濁った音に少し首をかしげた一幕も。せっかくこうした貴重な遺産を所有している以上、宇土の太鼓の特徴を生かした、きちんとした打ち込みをと願ったひと時。これからの活動に期待するばかりです。
 と、普段の月より2日少ないとはいえ、28日まであっという間の日々でした。

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