2018年4月22日
さまざまな形で未来に続け、太鼓、太鼓
新年度がスタート。うららかな春のある日、ヒダノ修一さんの息子さんの一彩くんと、林田ひろゆきさんの息子さんの高橋ルークくんが、偶然、我が社で鉢合わせ。二人の親はともに「東京打撃団」の元メンバーで、現在は独立されてそれぞれの道でご活躍中。そして一彩くんとルークくんはともに20代の若手太鼓演奏家。 そのルークくんも出演した千葉県の「成田太鼓祭」は4月14・15日の二日間。今年は会場である成田山の開基1080年御開帳記念と成田国際空港開港40周年、さらに成田太鼓祭の第30回記念大会という、めでたさ3倍の祭りとなり、出演団体も過去に例を見ない豪華65チーム。成田山新勝寺境内での合同演奏「千願華太鼓」には悲願の1080人参加を達成しました。30年前、発端は成田市観光協会会長の木下善貴さんが成田市活性化の手段としてスタートしたイベントで、太鼓関連イベントの中でも顕著な成功例として挙げられるべき祭り。一つの太鼓のありようを示すイベントとして大きく成長したと言えるでしょう。涙を浮かべながら感謝の言葉を述べる木下さんや、中心となって奔走された千葉県太鼓連盟の宮崎さん、越川さんの姿を見るにつけ、私も微力ながらお手伝いできたことを心から嬉しく思いました。
さて、昨20日は、全社員参加で能登半島の「あさの山」の枝打ち作業を実施。2003年から植林事業を開始したケヤキ群はまだまだ幼い樹形ながら、100年、200年後には、きっと太鼓をつくれるほどに育ってくれることでしょう。そんな私の思いに手を貸して作業に励む社員のみんなに、あらためて「ご苦労さまでした!」。
2018年4月13日
若者を迎えて、遠い日を振り返る
4月に入り、いろんなことに「新」がつく時季。我が社にも「新」がつく社員が2人入社し、なんとなく社内全体の雰囲気が若返ったような感じがしています。自分にもこんな時代があったんだなあ、と、ふと昔を振り返ると、今から60年間、まだ小学生だった時分のことを思い出しました。
当時、我が家にはつねに太鼓打ちが出入りしていました。片山津、粟津、山代、山中、芦原など、温泉街でお座敷太鼓を打っていた人たち。中には「太鼓で家を建てた」という猛者もいて、すでに「太鼓打ち」というのが一つの職業として成り立っていたのです。そのお座敷太鼓の原点は、なんといっても大バイ、小バイの妙。とくに心に残っているのは、山下豆腐店のじいちゃんと、福井の玉村武さん、下村さんのじいちゃん(1970年代のおんでこ座の名曲と言われている三国幻想曲指導)、高山さん、大野市の山田さん、いずれも根っからのひょうきん者で、「太鼓ならなんでもござれ」の名人級。小バイの妙である、五分五分、七三、六四、すりバチ、いっそくバチ、押しバチ、ずりバチと、あらゆる打ち方がお手のもの。子供心にも「カッコいいなあ」と憧れたものでした。そんな巧みなバチ使いも今はほとんど途絶え、ただ一人継承しているのが福井の車屋正昭さん。今も世界中から技を学ぼうと道場に多くの外人さんが来道されています。北陸に受け継がれたその伝統の技が、今後も若い世代に伝わっていくことを願うばかりです。そのためにも、これからは、少しずつ昔を振り返り、ここで皆さんにお伝えしていけたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。