2018年10月22日
つるべ落としの秋にも活発な太鼓界の動き
「秋の日はつるべ落とし」と、昔の人は実にうまいことを言ったもので、近ごろは夕方5時を回るとあっという間に日が沈むようになりました。こうした一日の積み重ねがいつしか長い時間の積み重ねとなり、10月も各地で歳月の重みを感じさせるコンサートが続きました。
まず10月4日、プロの太鼓奏者となって25年目、ヒダノ修一さんが新横浜に自前の道場をオープン。ここまで着々と足場を固め、その集大成として形に表した道場は、これから確実に太鼓文化の一翼を担っていくと思うと、心から祝福の思いがこみ上げてきます。この道場から、若い打ち手がたくさん育ってくれることを願うばかりです。
その三日後の7日は、埼玉県富士見市で、川越の「和太鼓響」15周年公演のREに参加。三木勝司代表が青少年の健全育成を目ざして立ち上げ、今では小学生からシニアまでメンバーは約30人。地域の人々が大勢駆けつけた公演は、創意工夫がいっぱいの舞台で、特に子供達の成長著しい姿に拍手。三木代表お疲れさまでした。(左記写真:リハーサルより)
翌8日は新潟県糸魚川市で「太鼓フェスティバルin青海」の25周年記念公演。私も太鼓チームの立上げから携わってきて感激もひとしお、、、、
よくぞここまで続けてこられた高澤会長と関係者の皆さんに、心より敬意を表しながら、客席で拍手を送ったひと時。
明けて9日、世界的な活動が注目されている「DRUM TAO」の金沢公演。前回の公演から明らかに進歩を遂げた舞台は、パフォーマンスも演出も胸をワクワクさせる躍動感に満ち、代表のフランコ・ドラオ氏とメンバーのどん欲な創造性と若い活力に脱帽。
その週末の13日は、千葉県君津市でソロ奏者鈴木淳一さんの「活動30周年記念公演」。お邪魔した社員から、新しい感性に満ちた良い舞台だったとの報告。同じ日、我が社の太鼓の里体験学習館では、大太鼓だけを使ったミニライブ「うねり」。ソロ奏者の林幹さんと田川智文さんが3尺5寸の大太鼓を両面からおよそ1時間にわたって打ち続けるというもので、このような発想もコンサートスタイルも、まことにユニーク。太鼓の作り手としても、一つの太鼓からさまざまな音色を引き出してくれた嬉しいコンサートでした。
2018年10月10日
現在の太鼓文化は、多くの人々のお力のおかげ
1980年代後半、全国の地域活性化策などをきっかけに未曾有の太鼓ブームに火が付いた当座、ようやく立ち上がった太鼓文化を将来的につないでゆくには、活字としてこの文化を記録していくほかないと考えて創刊したのが、太鼓専門誌「たいころじい」。本づくりにはまったくの門外漢でしたが、幸いなことに地元在住の挿絵画家・西のぼるさんと懇意にしていただいていたため、何かと適切なアドバイスをいただき、1988年に第1巻を創刊。当時の編集は金沢市の編集室・十月社に一任していたのが、子細あり、そのころフリーで文筆業を営んでいた小野美枝子に1999年から編集をバトンタッチ。第42巻まで継続して発行してきたことは、太鼓文化の発展に大きく貢献できたのではないかと、私にとって大きな誇りとなっています。
また、「たいころじい」と並行して、太鼓楽曲も新たなものが作られ、現代音楽の分野で活躍されていた巨匠のみなさんが、次々に名曲を出がけてくださいました。たとえば藤田正典さんの「汎神」、石井眞木さんの「モノクローム」、水野修好さんの「ティンパニーと大太鼓のための」、そして松下功さんの「飛天遊」などなど。
同時に、当時、皆無だった女>だけの太鼓チーム「焱太鼓」を立ち上げたのもこのころ。肉体を鍛え上げた女たちが全身で太鼓に立ち向かうさまを面白がって多くの文化人が活字や映像で取り上げてくれ、中でも写真家の稲越功一さんに紹介いただいた照明デザイナーの藤本晴美さんは、見たこともない斬新な照明で唯一無二の焱太鼓の舞台を作ってくれました。2007年のエクスタジア野外公演で、徹夜で照明の手直しをしていた姿を今も思い出します。
振り返れば太鼓文化を振興させたい一心で走り続け、右も左もわからない文化の世界でたくさんの人にご迷惑もおかけしてきましたが、近ごろ、旧知の皆さんが次々に鬼籍に入られてゆくのは、まことに残念でなりません。十月社の中田徹さん、作曲家で東京藝大の副学長でもあり、我が社と東京新聞、青山劇場が2003年から11年にわたって継続した東京国際太鼓コンテストで石井眞木さんとともに審査員を務めてくださった松下功さん、「ペコちゃん」の愛称でアルマーニをはじめとする企業や数多くの舞台人から親しまれた藤本晴美さん。
先に逝かれた藤田正典さん、石井眞木さん、稲越功一さんとともに、心からご冥福をお祈りいたします。