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2018年10月10日

現在の太鼓文化は、多くの人々のお力のおかげ

 1980年代後半、全国の地域活性化策などをきっかけに未曾有の太鼓ブームに火が付いた当座、ようやく立ち上がった太鼓文化を将来的につないでゆくには、活字としてこの文化を記録していくほかないと考えて創刊したのが、太鼓専門誌「たいころじい」。本づくりにはまったくの門外漢でしたが、幸いなことに地元在住の挿絵画家・西のぼるさんと懇意にしていただいていたため、何かと適切なアドバイスをいただき、1988年に第1巻を創刊。当時の編集は金沢市の編集室・十月社に一任していたのが、子細あり、そのころフリーで文筆業を営んでいた小野美枝子に1999年から編集をバトンタッチ。第42巻まで継続して発行してきたことは、太鼓文化の発展に大きく貢献できたのではないかと、私にとって大きな誇りとなっています。

 また、「たいころじい」と並行して、太鼓楽曲も新たなものが作られ、現代音楽の分野で活躍されていた巨匠のみなさんが、次々に名曲を出がけてくださいました。たとえば藤田正典さんの「汎神」、石井眞木さんの「モノクローム」、水野修好さんの「ティンパニーと大太鼓のための」、そして松下功さんの「飛天遊」などなど。

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 同時に、当時、皆無だった女>だけの太鼓チーム「焱太鼓」を立ち上げたのもこのころ。肉体を鍛え上げた女たちが全身で太鼓に立ち向かうさまを面白がって多くの文化人が活字や映像で取り上げてくれ、中でも写真家の稲越功一さんに紹介いただいた照明デザイナーの藤本晴美さんは、見たこともない斬新な照明で唯一無二の焱太鼓の舞台を作ってくれました。2007年のエクスタジア野外公演で、徹夜で照明の手直しをしていた姿を今も思い出します。

  振り返れば太鼓文化を振興させたい一心で走り続け、右も左もわからない文化の世界でたくさんの人にご迷惑もおかけしてきましたが、近ごろ、旧知の皆さんが次々に鬼籍に入られてゆくのは、まことに残念でなりません。十月社の中田徹さん、作曲家で東京藝大の副学長でもあり、我が社と東京新聞、青山劇場が2003年から11年にわたって継続した東京国際太鼓コンテストで石井眞木さんとともに審査員を務めてくださった松下功さん、「ペコちゃん」の愛称でアルマーニをはじめとする企業や数多くの舞台人から親しまれた藤本晴美さん。

 先に逝かれた藤田正典さん、石井眞木さん、稲越功一さんとともに、心からご冥福をお祈りいたします。

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