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2020年8月26日

コロナ禍の中での健闘をたたえ

 

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 長引くコロナ禍でさまざまな活動が停滞気味の中、太鼓界では嬉しいことに、いくつかの新しい動き。その一つ、11日に大分県久住町で「DRUM TAO」の「TAO芸術村」がプレオープン。太鼓の学校などを含む太鼓文化の拠点となる施設で、着々と全容を整備。それに合わせて毎夏恒例のファンとの交流イベント「TAOの夏フェス」も開催され、これからのコロナとの共存生活の先鞭をつけた事例に。代表の藤高郁夫氏の腹の据わった采配に敬服です。

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  もう一つは、先週末、佐渡を拠点とする「鼓童」の無観客「アース・セレブレーション」。公演の様子は世界にネット配信され、訪日できない海外の人々からも大きな反響があったそう。資金的にも大きな賭だったと思うが、30年以上継続したイベントを絶やせないとの青木孝夫社長の英断に喝采。藤高代表、青木社長ともに、どんな状況の中でも工夫しながら太鼓文化を発信し続ける姿に感銘を受け、太鼓に関わる人としての強い使命感のありようを間近に見た思いがします。

 そうした快挙を目にしつつ、一方では我が身のふがいなさをしみじみと実感。何かと思い惑うこと多く、せめて財団理事長として太鼓に関わる皆さんにできる限りの助力をと、模索している日々です。

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2020年8月16日

近藤さん、どうか安らかに

 

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 テレビのニュースを見ても新聞を広げても、PCを開いても、コロナ、コロナの毎日。そんな中、福島の愛宕陣太鼓連響風組の斎藤通夫さんから、悲しい知らせ。北海道登別で「北海太鼓」を創始した大場一刀さんの片腕として、一刀さん亡きあと独特の打法を継承してきた近藤則文さんが、日昼ごろに亡くなったとのこと。4年前、近藤さんの「太鼓打ち50周年記念」の祝賀会でお元気な姿を拝見、最近は体調を崩して埼玉に転地療養されると聞いてはいたものの、まさかこんなに早く逝かれてしまうとは。私よりも4歳も若い近藤さんのご逝去に、ただただお悔やみを申し上げるばかりです。

 近藤さんに初めてお会いしたのは、私がまだ20代のはじめ。張り替えした太鼓を抱えて札幌駅に降り立ったところを、一刀さん差し迎えの、当時の庶民の憧れだったクラウンハードトップの乗用車で迎えに来てくださった時。謙虚で控えめで、しかし太鼓に対してはつねにどん欲で探究心旺盛な爽やかな若者。北海太鼓ならではの流し打ちは見応えがあり、今年初めに病を得るまで太鼓を打ち続けた近藤さん。名人級の打ち手を失い、寂しい限りですが、大場一刀から近藤則文、そして和太鼓 ZINKAの金澤綾花へと直伝された北海太鼓の打法が、これからも新しい世代につながっていくことを願うばかりです。

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(北海道 滝本旅館にて 理事長左横:近藤さん)

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 近藤さん、どうかこれからも北海道の太鼓を見守ってください。永い間、お疲れ様でした。ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。

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2020年8月 9日

盆休みに思う

 

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 最近の話題といえば、どこにいっても新型コロナウイルスに関することばかり。これから社会はいったいどうなっていくのか、私自身も皆目見当がつかない日々。ウイルスとどうつきあい、社会活動、経済活動を持続しながら、なおかつ鉄道や道路、物流などのインフラは停滞させることなく、この国を維持していく難しさ。そうした中で、どうしても後手に回るのが「文化」。心に余裕があればこそ、文化を楽しむゆとりも生まれることに希望を託し、盆休みで無人になった事務所で一人思いをめぐらせている今日このごろです。

 

 なお、明後日11日は大分県を拠点に世界的な演奏活動を展開している「DRUM TAO」が四年前からとりくんできた「TAO芸術村」のオープニングセレモニー執行日。ぜひともお邪魔したかったのですが、やむを得ない事情により赴くこと叶わず、まことに残念。どうか藤高代表はじめメンバー皆々さまのますますのご活躍を心より祈っております

 

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