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2021年7月13日

久留美社長に心からの感謝を、、、、(一時代を共に)

 昭和の中ごろまでは家内工業で和太鼓を製造していた浅野太鼓でしたが、45年に有限会社浅野太鼓楽器店、54年に株式会社と組織を改称するにともない、製造現場の機械化・効率化を進めてきました。45年の有限会社設立以降、大平総理大臣の時代に地方の文化だと、よびかけがあり、各地に太鼓集団が数多くでき、それまでとは格段に需要が延び、以前のような手作業では生産がまったく追いつかなくなったからです。

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 しかし、太鼓という特殊な製品の効率化に役立つ機械など、当時はゼロ。つてを頼ってあちこち相談していた時に、出会ったのが小松市の機械メーカー代理店の清水産業。社長の久留美栄治さんは、根っからの機械好き。最初は渋っていたものの、誰も作ったことのない特殊な機械の開発に機械好きの血が騒いできたようで、胴の中ぐりを自動で行うNC旋盤の開発に始まり、平成30年までに、なんと16の「浅野太鼓仕様」の特注省力機械の開発に成功。中でも思い出深いのは、餅つき機をヒントに皮圧縮機、サントリーさんの工場見学で参考にした桶胴太鼓の自動組立ラインや、桶太鼓用の竹材5軸加工機、胴の中彫りを自動で行う4次元の彫刻機(こんな機械は絶対に作れないと尻込みしながらも4年の歳月を費やしてついに完成)、全自動バチ製造ライン(現在一番稼働率が高い)、大小鼓胴NC旋盤など。今日の浅野太鼓があるのも、ひとえに久留美さんのご協力ゆえと言っても過言ではなく、私とメーカーとの橋渡し役としてこちらの要望を丁寧にメーカーに伝え、理想の機械を生みだしてくれた久留美さんの功績は、まさに浅野太鼓の「産業革命」の実現でした。

 その久留美社長がこのたびご勇退(社長から会長職)されるにあたり、今あらためてこれまでのご恩に感謝するとともに、太鼓づくりのうえでこの上なく良きご縁をいただいた幸運をしみじみと噛みしめています。

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