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2022年7月21日

「老齢の青春」に励まされ

 

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 奈良県広陵町を拠点に活動を続けておられる「舞太鼓あすか組」さん。今年で設立30周年ながら、コロナ禍により記念公演が実現できず、30年間の活動の軌跡を追った立派な記念の冊子を編纂されて、このほど手許に届けて下さいました。 

 代表の飛鳥大五郎さんは、今年古希を迎えられ、現在の心境を「老齢の青春」と表現されています。このコロナ禍をチャンスととらえ、3年の間、作曲はもちろん、舞台構成や衣裳のアイデアなどの研究を重ね、やがてくるコロナのない時代に新たな舞台をつくっていこうという意気込み。相変わらずの前向きな姿勢にふれ、私もここは「ふんどしを締め直して」頑張らねばと、元気づけられた出来事でした。

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2022年7月 2日

完全な太鼓の埴輪が出土のニューㇲをみて

まず、驚いたのは、西暦500年代の古墳時代に太鼓の鋲が打ってあった事、鉄文化の渡来と太鼓の鋲の技術の進化に驚きました。鉄鉱石の熔解温度は1200度。鉄鉱石を見つける眼力、石炭の発見 炭の製作等々、、熔解点の1200度に達するには、石炭→コークス,炭クヌギ 炭コナラ等を使っての熔解、設備には「炉」が必要と思われる。

太鼓の鋲の型をするには彫金の技術と太鼓鋲の傘と釘をろう付する知識と技術等が完成されていた。弥生時代の銅鐸にも溶接の跡がみられる。

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  中国の「三星堆積遺跡」から大量の青銅器遺跡が見つかっており、紀元前2500年前に溶接が用いられた。母材と母材の間に溶かした溶加材を流し込む鋳掛けという方法とみられる。太鼓鋲製作に鋳掛けが使用されていたと思われる。この当時は高度な最先端の技術でおそらく高貴な方の品だと推測されます。革について、なめし技術は4世紀頃に百済の工人が渡来して教えたとされています。胴の切削技術は鉄文化の完成にによりヒジリ等の刃物があったみられ、掘りは容易だったと推測されます。   

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 どちらにしても、私が驚いたのは太鼓鋲が打ってあった事でした、革縁を長くして革の緩み抑える発想、胴の口径と長さの比率にも、興味深々です。私の想像ですが、黄金比率、古代ギリシャ紀元前490年頃に数学者「ユークリッド原理」の中で定義が書かれています。海を越え古代日本に伝わってきたのかなと、夢を膨らませていす、勝手な空想ですが、、、

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