2024年12月24日
2024年をしめくくる「嬉しいこと」「悲しいこと」
2024年は1月1日午後4時10分に発生した『令和6年能登半島地震』の恐怖に始まり、その後は地震に由来するあれやこれやの出来事に深く関わり、振り返ればあっという間の一年だったように思います。そんな日々の中にもとくに心に残る「嬉しいこと」と「悲しいこと」のできごとがあり、一年のしめくくりとしてここに記録します。
まず「嬉しいこと」として、太鼓奏者の第一人者である林英哲氏の「これまでの永年にわたる功績と、演奏活動55周年に向けて前途を祝する会」を開催できたことです。1970年の『佐渡國鬼太鼓座』の入座以来、国内外でさまざまな舞台に立たれ、太鼓奏者として初めてカーネギーホールで演奏したことや、世界の著名なオーケストラとの共演などを経て和太鼓を芸術の域にまで高めた英哲さんは、2022年、アジア地域の優れた文化の振興と相互理解および平和に貢献した人に贈られる『福岡アジア文化賞』の大賞(日本人ではアフガニスタンで銃撃に倒れた医師の中村哲氏が前年に受賞)受賞に続き、同年秋の叙勲で『旭日小綬章』を受章、さらに2024年には、中国地方において文化・芸術、学術・教育の各分野で功績のあった人たちを顕彰する『中国文化賞』 を受賞されました。これらの輝かしい顕彰に対し、「太鼓に関わる者としてお祝いの場を設けてはどうか」と『英哲風雲の会』の木村優一さんに相談したのがきっかけで、去る12月13日、英哲さんの懇意な人々や風雲の会のメンバーと共に『ホテルオークラ東京』にてお祝いの会が実現できました。英哲さん、50年以上にわたり大変お疲れさまでした。これからもどんな舞台を見せてくれるか、楽しみにしています。
そして、なんと、その席上、英哲さんから私に「感謝状」が贈られたのです! まったく思いがけないことでしたが、大判の賞状には英哲さんの思いが込められた直筆で感謝の言葉が綴られ、私は不覚にも驚きと感動の涙で視界がぼやけて、その場では文面を拝読する余裕もありませんでした。まことにまことに有り難く、あらためて心より御礼を申し上げます。
一方、「悲しいこと」として、12月16日、私の中で長く「心の師」と仰いできた、高知の明神宏和先生が逝去されました。先生とのお付き合いは、土佐山田太鼓創設の前年、今から38年前に始まりました。その後、先生は高知県内の全市町村に太鼓を普及され、つい最近までお元気で指導に出向いておられました。まさに見事な生きざまでした。白寿(99歳)まで天寿を全うされ、今頃は天国で奥様と再会され、楽しい会話をされていることでしょう。
お別れの時には、高知の太鼓の未来を担うであろう若者たちが心を込めて「送り太鼓」を打ち鳴らしました。「ああ、太鼓は『心』だ」。これほど心を感じたことはありませんでした。
そしてその数日前には、『公益財団法人日本太鼓財団』元理事長の大澤和彦氏が逝去されました。財団が『日本太鼓連盟』の時代から組織づくりに尽力され、その仕事ぶりに敬意を表します。6月の理事会で、辞任が決まった後、電話越しに「何とも残念だ」と悔しさを口にされていた声が今も耳に残っています。何があったのでしょうか……。今となっては、どうぞ心安らかにお眠りください。合掌
さて、読者の皆様には、この一年、たくさんの思いを寄せていただき、ありがとうございました。お陰さまで浅野昭利、今年も元気で活動することができました。どうか今後ともご向上のほど、よろしくお願い申し上げます。
そして皆様にはどうか良い歳の暮れと新年をお迎えくださるよう、心より祈っております。
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